1.はじめに
勤務医の皆様から「雇用契約書の重要性は理解しているけれども、どこを見たらいいのか」というご質問をよくいただきます。
自分の雇用契約の内容は、一般的な内容なのかそれとも自分にとって不利な内容なのか気になる医師の方も多いと思います。
また、クリニックの雇われ院長として勤務する場合、クリニックの開設者にさせられたり、クリニックの業務上の債務を負担させられたりするのではないかと心配になる方もいるでしょう。
本記事では、雇用契約に関する事項の中でも、特に質問が多い、常勤先との雇用契約、アルバイト先との雇用契約、そしてクリニックの雇われ院長の契約について解説します。
2.雇用契約書のチェックポイント
医療機関には勤務医に対して労働条件を明示する義務があります!
労働基準法では、使用者は、労働契約の締結に際し、労働条件を明示しなければならないと定められています。(労働基準法15条1項)
そして、労働条件の中でも特に重要な次の事項については、原則として書面で明示しなければならないとされています。(労働基準法施行規則5条1項参照)
- 契約期間
- 期間の定めがある契約を更新する場合の基準に関すること
- 就業場所、業務内容
- 始業・終業時刻、休憩、休日に関する事項
- 賃金の決定方法、支払時期に関する事項
- 退職に関する事項
これらの労働条件は、雇用契約書や労働条件通知書に明示される場合の他、就業規則や給与規程で示される場合もあります。
また、令和6年4月より労働条件明示のルールが改正され、雇入れ直後の就業場所・業務の内容に加え、 就業場所・業務の「変更の範囲」の明示(改正労基則第5条第1項第1号の3)や有期雇用契約の更新上限(有期労働契約の通算契約期間または更新回数の上限) の有無とその内容の明示(改正労基則第5条第1項第1号の2)等の新たな明示のルールが追加されます。
雇用契約書等に記載される労働条件のうち、特にチェックすべき重要な項目としては契約期間、始業・終業時刻や休日、給与形態などがあります
契約期間
- まず、契約期間について説明します。雇用契約の契約期間には、無期雇用と有期雇用があります。無期雇用の場合、契約期間の欄には「期間の定め無し」と書かれることが多いです。他方で、有期雇用の場合は、契約期間の欄には具体的な期間が書かれます。例えば、2024年4月1日から1年間の有期雇用契約の場合、契約期間は2024年4月1日~2025年3月31日などと具体的な期間が書かれます。
無期雇用は勤務医が希望すれば定年まで働くことができ、退職したい場合は2週間前までに申し出ることによりいつでも退職できるため(民法627条参照)無期雇用の方が有期雇用よりも勤務医にとっては有利です。
他方で、有期雇用は契約期間満了により雇用契約も原則として終了します。もちろん勤務医と病院が合意すれば契約期間の更新は可能ですが、必ず契約が更新されるわけでは無いことに留意が必要です。
また、有期雇用の場合は、契約が更新される基準や令和6年4月からは更新上限の有無やその内容についても明示されますので合わせて確認しておきましょう。
就業場所、業務内容
- 次に就業場所と業務内容について説明します。
就業場所は勤務場所のことです。就職予定の医療機関を運営する法人が複数の医療機関を有する場合は、特に、異動の有無について確認しておくことをお勧めします。特に、家庭の事情など医師側の都合で勤務地の変更が難しい場合は、勤務地を限定する内容を雇用契約書に追記することも選択肢として検討しましょう。
業務内容については、「医師業務」などと広く記載されることも多いです。
もし、避けたい業務があれば業務内容から除いてもらうように事前に医療機関と話をして、その旨雇用契約書に追記することも選択肢として検討しましょう。
始業・終業時刻、休憩、休日に関する事項
- 始業時刻は勤務開始時刻で、終業時刻は勤務終了時刻です。
法律上の1日の労働時間の上限は原則8時間で、週の上限の原則は40時間です。(労働基準法32条)
休憩時間の付与は法律上の義務です。労働時間が6時間超~8時間のときは最低45分、8時間超のときは最低1時間の休憩時間を付与しなければなりません。(労働基準法34条)なお、休憩時間は勤務の途中に与えなければならないため休憩時間無しで遅く出勤したり、早く退勤するということはできません。
また、休憩時間については、病院の場合45分〜60分の間で設定されることが多いですが、クリニックの場合、午前診療と午後診療の間で1時間を超える休憩時間が設定されることもあります。
休日については、祝日が休日となっていない病院もあります。祝日が休みになるかどうかは、大きな違いですので確認しておきましょう。
なお、有給休暇の付与は法律上の義務であり雇用契約書への記載の有無に関わらず法律上付与される条件を満たせば付与されます。
常勤の場合、6か月間の継続勤務かつ全労働日の8割以上の出勤を満たせば、10日間の有給休暇が法律上付与されます。非常勤の場合も付与日数は異なりますが有給休暇が法律上付与されます。(労働基準法39条)
有給休暇については、法律上付与される日数よりも上回る日数や条件が雇用契約書や就業規則に記載されていれば、勤務医にとって有利な内容となります。例えば、入職時に一定の日数の有給休暇を付与する病院もあります。
また、夏季休暇や年末年始休暇が別途付与される場合も勤務医にとって有利な内容です。
4月1日に常勤で入職の場合、法律上有給休暇が付与されるのは、10月1日に10日間となります。7月、8月といった一般的な夏休みの時期にはまだ有給休暇が付与されていませんので、有給休暇とは別に夏季休暇が付与されるかは大きな違いです。
給与形態
- 常勤医師の場合は、月給制、年俸制が多いです。アルバイト、非常勤医師の場合は、時給制、日給制が多いです。
年俸制の場合は、残業代が年俸に含まれるため別途残業代が支払われないのではないかという質問をよくいただきます。
年俸制は年単位で給与の額を決定するという意味に過ぎません。年俸制だから別途残業代が支払われ無いということはありません。
なお、固定残業代(みなし残業代)といって、あらかじめ一定時間の残業代を基本給に組み込んだり、別途手当として支払われる場合があります。
固定残業代が設定されている場合、実際の残業時間があらかじめ設定された一定の時間を超えなくても固定残業代全額が支払われ、超えた場合は超えた時間分の残業代が別途支払われます。
例えば、30時間分の固定残業代が設定されている場合、時間外労働が30時間までは固定残業代が全額支払われます。30時間を超える時間外労働を行った場合は、超えた分は別途残業代が支払われます。
固定残業代が設定されていても、定額働かせ放題にはなりません。
その他の手当
- 当直手当、日直手当、オンコール手当、その他のインセンティブ等の基本給とは別に支払われる手当も確認しておきましょう。
オンコール待機手当については、オンコール待機手当が支払われる病院と支払われない病院があります。
賞与・退職金
- 賞与及び退職金については、使用者に法律上の支払義務があるものではありません。そのため、賞与・退職金の有無、内容、支払われる条件は、医療機関ごとに異なります。以前勤めていた病院ではボーナスが支払われていたのに転職先の病院では支払われないということもあります。事前に確認しておくことをお勧めします。
雇われ院長の契約について注意すべきポイント
勤務医の雇用契約書の中でもご質問が多い雇われ院長の契約について解説します。
昨年、多店舗展開をしている脱毛クリニックが倒産して未消化分が返金されないなどの被害を被った元患者が、医師個人に対して訴訟を提起したという報道がありました。
このような報道もあり、雇われ院長に就任することで想定外の債務を負担させられるのでは無いかと心配になる方もいらっしゃると思います。
はじめに、「雇われ院長」という言葉に法律上の定義はありません。「雇われ院長」とは、一般的には、クリニック等の医療機関のオーナー(経営者)ではなく、「雇われて」院長に就任する場合を意味します。求人では、院長募集、雇われ院長募集、管理医師募集などと書かれることが一般的です。
もっとも、「雇われ」院長といっても、その実態や契約形態は様々です。契約形態については、労働基準法の適用のある雇用契約の場合もあれば、業務委託契約などの雇用契約以外の契約が結ばれることもあります。その実態も、クリニックの経営に全く関与しないものから共同経営に近いものまで様々です。
ここからは、診療所の雇われ院長に就任するケースを想定して、医師個人が診療所の管理者(管理医師)のみに就任するケースと診療所の管理者に加えて診療所の開設者にも就任するケースに分けて解説します。
これから説明するのは典型的なケースの解説になります。先述したとおり雇われ院長の契約形態やその実態は様々であり、全てのケースや特殊なケースを網羅するものではありません。また、個別のケースに関する不明点は、専門家等にご相談下さい。
1. 診療所の管理者のみに就任し、開設者にはならないケース
- (医療)法人が診療所の開設者となり、雇われ院長が診療所の管理者(管理医師)になるケースが典型的です。
医療法人の場合、開設する全ての診療所の管理者を医療法人の理事に加えなければならないと規定されています。(医療法46条の5第6項)
そのため、医療法人が開設する診療所の雇われ院長に就任する場合は、原則として医療法人の理事にも就任します。
医療法人の雇われ院長の契約は雇用契約が一般的ですが、雇用契約以外の契約もあり得るため確認が必要です。
クリニックの業務に関する契約の名義人は基本的に法人名義になるため医師個人がクリニックの業務に関する契約の当事者になることは原則としてありません。
もっとも、雇われ院長個人がオーナーに求められてクリニックの業務に関する契約の当事者として契約書を締結した場合は、契約書を締結したことをもって契約上の債務を負担することになります。そのため、何らかの契約書へのサインを求められたときは、慎重に契約書の内容を確認することが重要になります。
2. 診療所の管理者に加えて開設者にも就任するケース
- 雇われ院長が診療所の管理者(管理者)に加えて、診療所の開設者にもなるケースです。
非医師が実質的なオーナーである場合が典型的ですが、医療法人等の診療所を開設できる主体がオーナーの場合でも医師個人による診療所の開設の方が届出により開設でき手続きが簡便であるため(医療法8条)、診療所の開設者になることを求められる場合もあります。
雇われ院長の医師個人が開設者となる場合は、契約名義は個人開業医師と同様となることがあります。
すなわち、クリニックが入居するテナントの賃貸借契約の借主、医療機器等の機械のリース契約の借主、クリニックの職員との雇用契約、患者との診療契約等、クリニックの業務に関するあらゆる契約の名義を医師個人の名義にするよう求められることがあります。
雇われ院長がクリニックの開設者にもなる場合、クリニックの実質的オーナーとの契約は雇用契約にはなりません。クリニックの実質的オーナーと結ばれる契約の内容は様々ですのでその内容には注意が必要です。
また、実質的オーナーの資金繰りが悪化した場合や雇われ院長と実質的オーナーとの関係が悪化した場合など、何らかの事情で実質的オーナーによるクリニックの業務に関する支払が滞った場合、契約の相手方から直接債務の支払を請求されるリスクが残ります。
そのため、クリニックの開設者となることも求められたときは、リスクを適切に把握したうえで慎重に検討することが重要です。
不本意な契約を結ばないために重要なこと
最後に不本意な契約を結ばないために重要なことについてお伝えします。
雇用契約のある条件が自分にとって有利・不利になるかどうかは、自分自身がどのような働き方をしたいかということに関わってきます。
例えば、「残業なし」という条件も家庭の事情で定時に退勤することが必要な方にとっては譲れない条件でも、全ての方が重視する条件ではありません。
自分で勤務先を選ぶ場合、自分が働くうえで何を重視するのか、優先順位を付けて検討してみて下さい。
そのうえで、雇用条件の交渉段階で自分の希望を伝えて条件が固まったら、契約書に反映してもらうことをお勧めします。
また、事前に医療機関や仲介会社から聞いていた条件と、実際に締結した雇用契約書の内容が異なる場合、トラブルに発展するリスクがあります。
将来の紛争を予防するためにも、雇用契約書はできれば入職前に確認させてもらうようにし、サインする前に必ず全文に目を通すことが重要です。もし、不明点や入職前に確認した条件と異なる記載があるときは、サインをする前にきちんと確認して必要に応じて修正等の対応をとってもらうことが重要です。