医師の応招義務はどこまで?時間外や迷惑患者の診療を断る際の正当な理由とは?【荒木弁護士解説】

今回の記事では、医師の応招義務について取り上げたいと思います。
※「応召義務」という表記が現在も多く用いられていますが、「医療を取り巻く状況の変化等を踏まえた医師法の応召義務の解釈に関する研究について」(令和元年7月18日 第67回社会保障審議会医療部会 資料2-3)での検討で、「応招義務」が適当であるとして正式採用されており、記事中でも「応招義務」の表記を採用しています。
まず、日本における応招義務の歴史について簡単に触れます。
医師の応招義務が日本の法律に登場したのは、明治時代に制定された旧刑法(明治13年太政官布告第36号)にまで遡ります。
旧刑法427条9号では「醫師隱婆事故ナクシテ急病人ノ招キニ應セサル者(=医師・産婆で理由なく急病人の招きに応じない者)」は、「一日以上三日以下ノ拘留ニ處シ又ハ二十錢以上一圓二十五錢以下ノ科料ニ處ス(=1日以上3日以下の拘留、または20銭以上1円25銭以下の科料に処す)」と規定されていました。
このように、明治時代に旧刑法に規定されていた急病人に対する応招義務は、違反した場合には医師に対する刑事罰をもって規定されていました。
現行の応招義務は、医師法19条1項に規定があり、「診療に従事する医師は、診療治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と規定されています。現行の応招義務に違反した場合でも罰則は無く、行政処分も現在まで確認されていません。
医師の応招義務の背景には、医療の公共性、医師による医業の業務独占、生命・身体の救護という医師の職業倫理があるといわれています。
医師法第19条1項に規定される応招義務は、医師が国に対して負担する公法上の義務であり、医師の患者個人に対する私法上の義務ではないと解釈されています。そのため、医師が患者の診療を拒否した場合でも直ちに民事上の責任に結びつくものではありません。
しかしながら、医師や医療機関が患者の診療を拒否しても損害賠償義務等の民事上の責任を一切負わないということではありません。
判例では、医師や医療機関が正当な事由なく患者の診療を拒否して患者に損害が生じた場合には、医師や医療機関が患者が被った損害を賠償する責任を負うと解釈されています。
医師や医療機関の患者に対する診療拒否が違法になるか否かは、正当事由の有無がポイントとなります。
医師や医療機関の応招義務に関して患者を診療しないことが正当化されるケースについては、厚労省の令和元年の通達(令和元年12月25日付医政発1225第4号各都道府県知事あて厚生労働省医政局長通知)で詳しく解説がされています。
通達を表にして整理すると以下のようになります(表1)。
診療を求められたのが診療時間内・勤務時間内である場合 | 診療を求められたのが診療時間外・勤務時間外である場合 | |
---|---|---|
①緊急対応が必要な場合 (病状の深刻な救急患者等) |
医療機関・医師・歯科医師の専門性・診察能力、当該状況下での医療提供の可能性・設備状況、他の医療機関等による医療提供の可能性(医療の代替可能性)を総合的に勘案しつつ、事実上診療が不可能といえる場合にのみ、診療しないことが正当化される。 |
応急的に必要な処置をとることが望ましいが、原則、公法上・私法上の責任に問われることはない(※)。 ※必要な処置をとった場合においても、医療設備が不十分なことが想定されるため、求められる対応の程度は低い。(例えば、心肺蘇生法等の応急処置の実施等) ※診療所等の医療機関へ直接患者が来院した場合、必要な処置を行った上で、救急対応の可能な病院等の医療機関に対応を依頼するのが望ましい。 |
②緊急対応が不要な場合 (病状の安定している患者等) |
原則として、患者の求めに応じて必要な医療を提供する必要がある。ただし、緊急対応の必要がある場合に比べて、正当化される場合は、医療機関・医師・歯科医師の専門性・診察能力、当該状況下での医療提供の可能性・設備状況、他の医療機関・医師・歯科医師の信頼関係等も考慮して緩やかに解釈される。 | 即座に対応する必要はなく、診療しないことは正当化される。ただし、時間内の受診依頼、他の診察可能な医療機関の紹介等の対応を取ることが望ましい。 |
まず、病状の深刻な救急患者など緊急対応が必要な患者であるか否かが重要な考慮要素となります。
緊急対応が必要な患者に診療時間内・勤務時間内に診療を求められた場合には、事実上診療が不可能といえる場合にのみ、診療しないことが正当化されるという極めて厳しい基準が示されています。
また、本通達では、迷惑患者や医療費不払のケースなど個別事例毎に診療拒否が正当化される場合についても整理しています(表2)。
診療時間内・勤務時間内かつ緊急対応が不要な場合 | |
---|---|
患者の迷惑行為 | 診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合(※)には、新たな診療を行わないことが正当化される。 ※診療内容そのものと関係ないクレーム等を繰り返し続ける等 |
医療費不払い | 以前に医療費の不払いがあったとしても、そのことのみをもって診療しないことは正当化されない。 しかし、支払能力があるにもかかわらず悪意をもってあえて支払わない場合等には、診療しないことが正当化される。 具体的には、保険未加入等医療費の支払能力が不確定であることのみをもって診療しないことは正当化されないが、医学的な治療を要さない自由診療において支払い能力を有さない患者を診療しないこと等は正当化される。また、特段の理由なく保険診療において自己負担分の未払が重なっている場合には、悪意のある未払いであることが推定される場合もある。 |
入院患者の退院や他の医療機関の紹介・転院など | 医学的に入院の継続が必要ない場合には、通院治療等で対応すれば足りるため、退院させることは正当化される。医療機関相互の機能分化・連携を踏まえ、地域全体で患者ごとに適正な医療を提供する観点から、病状に応じて大学病院等の高度な医療機関から地域の医療機関を紹介、転院を依頼・実施すること等も原則として正当化される。 |
差別的な取り扱い | 患者の年齢、性別、人種・国籍、宗教等のみを理由に診療しないことは正当化されない。ただし、言語が通じない、宗教上の理由等により結果として診療行為そのものが著しく困難であるといった事情が認められる場合にはこの限りではない。 このほか、特定の感染症へのり患等合理性の認められない理由のみに基づき診療しないことは正当化されない。ただし、1類・2類感染症等、制度上、特定の医療機関で対応すべきとされている感染症にり患している又はその疑いのある患者等についてはこの限りではない。 |
訪日外国人観光客をはじめとした外国人患者への対応 | 外国人患者についても、診療しないことの正当化事由は、日本人患者の場合と同様に判断するのが原則である。外国人患者については、文化の違い(宗教的な問題で肌を見せられない等)、言語の違い(意思疎通の問題)、(特に外国人観光客について)本国に帰国することで医療を受けることが可能であること等、日本人患者とは異なる点があるが、これらの点のみをもって診療しないことは正当化されない。ただし、文化や言語の違い等により、結果として診療行為そのものが著しく困難であるといった事情が認められる場合にはこの限りではない。 |
ここで注意が必要なのは、個別事例毎に整理されたケースが問題としている場面は、緊急対応を要しない患者に診療時間内・勤務時間内に診療を求められた場面になります。
医療費不払があるケースでは、以前に医療費の不払いがあったとしても、そのことのみをもって診療しないことは正当化されないが、支払能力があるにもかかわらず悪意をもってあえて支払わない場合等には、診療しないことが正当化されると整理されています。
患者の迷惑行為があるケースでは、診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化されると規定されています。
大学病院の精神科にADHD・神経症の治療で通院していた患者が大学病院から診療を拒否されたことが診療契約の債務不履行であると主張して、債務不履行に基づく損害賠償請求として、慰謝料500万円と弁護士費用50万円の支払いを求めた事案です。
裁判所は、
などの事情から大学病院において患者に対して適切な診療行為を行うことが困難であると判断してもやむを得ない状況にあったと認定しました。
そのため、やむを得ない措置としてなされた診療拒絶には正当な理由があり、診療契約上違法な債務不履行であると認めることはできないと判断し、患者の病院に対する損害賠償請求は認められませんでした。
なお、この裁判では、患者の迷惑行為が患者の病気の症状として現れたものである場合であっても、診療拒否に正当な理由があるとの結論に変わりないと述べている点も注目すべきポイントであると考えます。
この判例は、交通事故に遭った三次救急患者の受け入れ要請を第三次医療機関である市立病院が整形外科医と脳外科医が不在であることを理由に拒否したことに正当事由があるか否かが問題となったケースです。
裁判所は、担当医師の不在は場合によっては診療拒否の正当事由になり得るけれども、このケースでは、患者の受傷と密接な関連を有する外科専門医師が在院しており受入れても治療が可能であったとして、慰謝料として150万円の損害賠償が認められました。
この判例は、1歳1か月の女児が小児科医院で気管支炎ないし肺炎(重症)と診断され、被告が運営する救急告示病院に搬送されたが、満床により入院できないと断られ、消防指令室の再三にわたる要請も拒否し、同病院の医師が数分間患児を診察して搬送に耐えられるとして、受入れ可能な他院に搬送したが、他院到着時には患児の全身状態が悪化しており、気管支肺炎により死亡するに至ったため、患児の両親が死亡による損害賠償を病院に請求した事案です。
判決では、医師法19条1項における診療拒否が認められる「正当な事由」とは、原則として医師の不在または病気等により事実上診療が不可能である場合を指すが、診療を求める患者の病状、診療を求められた医師または病院の人的・物的能力、代替医療施設の存否等の具体的事情によっては、ベット満床も右正当事由にあたると解せられると判示したうえで、
という事情を考慮して、このような事情の下ではベッド満床を理由とする診療拒否には、医師法19条1項にいう正当事由がないと判断しました。
いかがでしたでしょうか。医師の働き方改革の議論の中で医師の応招義務についても議論がなされました。また、近年報道される患者の迷惑行為に対する対応との関係でも応招義務が問題になります。応招義務に関しては、患者が緊急対応が必要か否か、診療時間内か否かなど診療を求められた場面の違いにより対応が異なりますので、判例や通知などの法的知識を押さえたうえで、対応することが重要です。
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